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ホーム > 企業情報 > 第11回ヘルシー・ソサエティ賞受賞者発表

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健全な社会は、
誰かの努力によってつくられます。

より明るい今日とよりよい明日に向けて、健全な社会と地域社会、そして国民のクオリティ・オブ・ライフの向上に貢献した方々を称える目的で、公益社団法人日本看護協会とジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人グループによって平成16年に創設されたヘルシー・ソサエティ賞。
今年度も全国から寄せられた推薦候補者の中から、3部門6名の受賞者が決定しました。
いずれも、教育、ボランティア、医療などさまざまな分野で指導的役割を果たしている方々ばかりです。
この賞をきっかけに、国民の健康、地域社会の福祉、さらに生活の質の向上のための有意義な活動が、より広く普及することを私たちは心から願っています。

受賞者紹介

教育者部門
社会のあらゆる場において、教育を深め、本来の仕事の範囲を超えて特別な努力をされ、人々に更なる知識を与え、教育を通して、よりよい明日の実現のために貢献した実績のある方へ贈られます。
[国内]山下 俊一 氏[国際]神馬 征峰 氏
国立大学法人長崎大学 理事・副学長東京大学大学院医学系研究科 国際地域保健学教室 教授
ボランティア部門
チャリティーや、国民の福祉を向上させる活動、もしくは地域福祉の向上や市民としての活動などにおいて指導的役割を果たし、多大な貢献をされている方へ贈られます。
[国内]伊藤 たてお 氏[国際]垣見 一雅 氏
一般社団法人日本難病・疾病団体協議会 代表理事(所属団体なし)
医療従事者部門
医療全般のあらゆる分野で活躍する方々の中から、患者や高齢者、または障がい者など、社会的に不利な立場にあり、援助を必要としている方々のケアのために特別な努力をされた方へ贈られます。
[国内]加藤 治子 氏[国際]服部 匡志 氏
阪南中央病院産婦人科 医師
NPO性暴力救援センター・大阪SACHICO 代表
アジア失明予防の会 理事

教育者部門(国内)

放射線リスクを正しく理解する大切さ被ばく医療学の継承を

山下 俊一氏(やました しゅんいち)

国立大学法人長崎大学 理事・副学長

 1952年長崎県生まれ。1991年より四半世紀近く、チェルノブイリをはじめとする旧ソ連圏における「核に汚染された大地」で医療協力・人材育成事業と国際学術共同研究を推進。1995年からカザフスタン・セミパラチンスク核実験場周辺への医療支援も手がけた。こうした活動が評価され、2004年にはWHO(世界保健機関)に出向し放射線プログラムの専門科学官として勤務した。2006年末に帰国。(2011年3月)東日本大震災に伴う原発事故を受け、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命された。

混乱と混迷の渦中にある福島での活動は長く困難を極めることが予想されたが、チェルノブイリでの経験から山下氏は「誰かが引き受けなければ事態はより深刻になる」と覚悟を決めて放射線に対する正しい知識の啓蒙に奔走。さらに、後継者の育成が急務であると考えた山下氏は福島県立医科大学の副学長に就任し、同大学を国際的な被ばく医療の研究センターならびに教育拠点となるよう尽力している(現在は非常勤)。

教育者部門(国際)

貧しい人々の声を世界に発信する人材教育に取り組む研究・政策・実践に架け橋を

神馬 征峰 氏(じんば まさみね)

東京大学大学院医学系研究科 国際地域保健学教室 教授

 1985年浜松医科大学卒業。在学中、日米学生会議への参加や、恩師伊藤忠邦氏との出会いをきっかけに国際保健を志す。同大学卒業後、飛騨高山赤十字病院研修医、国立公衆衛生院労働衛生学部研究員、ハーバード大学公衆衛生大学院環境保健学部客員研究員を経て、1994年からガザ地区(在ガザ)・ヨルダン川西岸地区(在エルサレム)WHO事務所長、1996年からは「ネパール学校・地域保健プロジェクト」のチームリーダーを務めた。その後、武見フェローでハーバード大学公衆衛生大学院人口・国際保健学部で研究者生活を送った後、2002年に東京大学大学院医学系研究科国際地域保健学教室講師となり、2006年から教授を務めている。

 「国際保健にとって重要なのは、研究・政策・実践の連携である」と説き、現場と研究の架け橋となるべく後継者の育成に努める神馬氏と、その後継者が日本の国際保健学に新たな道を切り開いていくことに大きな期待がかかる。

ボランティア部門(国内)

難病患者の声を日本に響かせるために小さな声を大きな声へ

伊藤 たてお 氏(いとう たてお)

一般社団法人日本難病・疾病団体協議会 代表理事

 1945年北海道生まれ。4歳の時に重症筋無力症を発病し、5歳の時には結核を併発する。1964年札幌南高等学校を卒業。医学の進歩により自身の症状は改善されたが、難病患者同士の情報共有の場として、1972年に全国無筋力症友の会北海道支部を設立。1973年の北海道難病団体連絡協議会設立時に代表、事務局長を務め、1986年には日本患者・家族団体協議会設立。その後、2005年に日本難病・疾病団体協議会(現・一般社団法人日本難病・疾病団体協議会)を設立した。

 伊藤氏が筋無力症にとらわれず、難病というくくりで活動を始めたのは、そもそもその数が少ない難病患者が集まる小さな団体の声も、合わせて大きくすれば、難病政策をより良い方向に導けるのではないかという考えからだった。2008年からは、政府機関の委員を務め、難病法の改正にも携わり、難病患者たちの声を行政に届けることで、難病克服に向けた総合的な対策の確立に奔走している。

ボランティア部門(国際)

村人へ歩いて届けるボランティア精神ネパールのOKバジ

垣見 一雅 氏(かきみ かずまさ)

所属団体 無し

 早稲田大学を卒業。私立順心女子学園(現・広尾学園)で英語教師として23年間勤務すると同時に、垣見塾を経営。ヒマラヤに憧れネパールを訪れた時に、村人たちの貧困生活を目の当たりにしたことがきっかけで、1993年、54歳の時にネパールに単身移住し支援活動を始めた。

 活動開始当初、ネパール語も解からず、村人からの頼みごとにはいつも英語で「OK、何とかしてみるよ」と答えていた垣見氏は、ネパール語で"おじいさん"の意味を持つ「バジ(Baji)」と併せ「OKバジ」と呼ばれるようになった。以来20年以上、村々を歩いて訪ね、そこで出会った人々の声に耳を傾けるボランティア活動を続け、1997年にはネパール国王からゴルカダッチンバウ勲四等勲章を授与。2009年には吉川英治文化賞を受賞した。自分のためではなく他人のために、小さなことでも出来ることを少しずつやる。OKバジのその姿勢と活動は、これからも続いていく。

医療従事者部門(国内)

女性の心と身体をケアする、ワンストップ支援の実現性被害女性への救急医療

加藤 治子 氏(かとう はるこ)

阪南中央病院産婦人科 医師 NPO性暴力救援センター・大阪SACHICO 代表

 大阪市立大学医学部卒業後、1975年から阪南中央病院に勤務。医師としての経験を積む中で、性被害女性に対して「もっと丁寧なサポートができないか?産婦人科医師としてすべきことがあるのではないか?」という気持ちを抱き続けていた加藤氏は、同じ思いを持つ仲間たちに呼びかけ、日本初のレイプクライシスワンストップセンターの設立に向け奔走。2010年、性暴力救援センター・大阪SACHICOを同病院内に開設した。

 SACHICOでは、24時間体制で女性支援員が常駐しホットラインに対応していることに加え、産婦人科医も24時間体制で対応。また、警察や弁護士などが連携するネットワークを確立し、来所者に応じて必要な対応ができるワンストップ支援を機能させている。現在では、同じようなセンターが全国で少なくとも9カ所立ち上がっており、2013年には全国のセンターをつなぐ全国連絡会も設立され、広がりを見せている。

医療従事者部門(国際)

ベトナムの赤ひげ先生が目指す患者さんを思う医師の姿患者は家族

服部 匡志 氏
(はっとり ただし)

アジア失明予防の会 理事

 1964年大阪府生まれ。京都府立医科大学卒業後、日本各地の眼科を渡り歩きながら眼科医の経験を重ね、内視鏡を用いた網膜硝子体手術では世界トップクラスになった。2002年から網膜硝子体手術指導医としてベトナム国立眼科病院にて活動を開始。服部氏は自費で医療資機材を購入し持ち込んだだけでなく、貧しい患者さんの手術費を肩代わりすることも多かった。そんなベトナムでの献身的な活動が認められ、2013年には日本国務大臣表彰、第20回読売国際協力賞を、2014年にはベトナム政府より「友好勲章」を授与された。現地では、口ひげを生やした容姿から「ベトナムの赤ひげ先生」と親しまれている。

 服部氏の活動の礎は、「患者さんを思いやれる医師になる」という強い気持ちだという。患者さんのことを一番に考える医療ネットワークをベトナムから世界へ発信すべく、服部氏は「患者は家族」をモットーとして今も前進し続けている。

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