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1906年

サンフランシスコ地震

1906年、サンフランシスコは大地震と火事に見舞われました。当時ジョンソン・エンド・ジョンソンは創立20周年を迎えた若い企業で、20世紀最初の10年間は製造ラインの拡張を目指していました。当時、ジョンソン・エンド・ジョンソンは医師向けの各種製品や、薬局で販売する一般消費者向け製品を製造していました。

始まりは1906年のサンフランシスコ大地震

1906年4月18日午前5時13分、サンフランシスコでマグニチュード8.3の地震が発生、市街地の大部分が瓦礫と化し、3000名を越える犠牲者が出ました。家屋やビルが倒壊し、ガス管が破裂したため、大火事が数日間続きました。何千人もの人々が家を失い、怪我人が多く発生し、サンフランシスコ市は対応に追われました。当時、サンフランシスコ市にはジョンソン・エンド・ジョンソンの社員が数十名生活し、働いていました。震災発生当日の午前10時にはジョンソン・エンド・ジョンソンの倉庫、事務所と備品は全て破壊されました。社員は赤十字から電報を使う許可を得て、ニュージャージー州ニューブランズウィックのジョンソン・エンド・ジョンソン本社に緊急援助を求めました。

その数時間後には、ジョンソン・エンド・ジョンソンのガーゼ、縫合糸、絆創膏その他の医療・手術用品はサンフランシスコ行きの列車に積まれ、被災地に送り出されました。ジョンソン・エンド・ジョンソンは、被災地に医療用品を最も多く提供した企業となったのです。またジョンソン・エンド・ジョンソンは被災地で野外病院を設営し、救援活動を支援しました。

この初の組織的な災害支援活動が契機となり、ジョンソン・エンド・ジョンソンは災害支援と人道活動の歴史を歩み始め、現在では世界規模で支援活動を展開しています。

当時、多くの人々はこのような災害援助活動を若い企業の勇み足とみましたが、ジョンソン・エンド・ジョンソンは正しい行動を実行に移したに過ぎません。

この正しいことを行う精神が、その後長く続くジョンソン・エンド・ジョンソンの災害支援活動と地域活動の伝統を育みました。1943年には、創立者ロバート・ウッド・ジョンソンの息子で「General (将軍)」の愛称で親しまれたロバート・ウッド・ジョンソンJr.が企業の顧客、社員、地域社会と株主に果たすべき責任と哲学を記した「我が信条(Our Credo)」を起草しました。地域社会に対する責任は、ジョンソン・エンド・ジョンソンの企業哲学の基礎を成しています。

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