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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第35話第1回クレドー・チャレンジ・ミーティングはこうして生まれた

1973年4月、35年前セールスマンとしてジョンソン・エンド・ジョンソンに入社したリチャード・B・セラーズが、取締役会の会長兼 CEOに就任した。一方、社長兼エグゼクティブ・コミッティ委員長には、20年前に入社し、マーケティング部門で出世してきたジェームズ・E・バークが就任した。インフレ、景気後退、エネルギー不足などの影響で困難な問題も起こったが、セラーズと彼のマネジメントチームは、会社の歴史的成長率を維持することが出来た。1973年から1976年までの間に、ワールドワイドの売上は10億ドル近く増え、利益は平均で毎年14%以上増加した。新しいグループ会社もいくつか設立された。セラーズは、J&Jの世界中のマネジメントを結び付け、分社分権化組織としての自主性を脅かすことなく、より結束したグループになる様に尽力した。

1975年、海外で不正支出の問題がいくつか発覚したことにより、米国に本社を置く企業の間で、ビジネス倫理や商習慣の問題が注目を浴びるようになった。このような問題をうけて、J&Jの企業理念・倫理規定である「我が信条(Our Credo)」の最も忠実な支持者の一人であったセラーズは、「我が信条(Our Credo)」に具体化された原則の遵守に再度専念するよう呼びかけた。その少し前、バーク会長はセラーズにある提案をしていた。ロバート・ウッド・ジョンソンJr.によって約30年前に起草された「我が信条(Our Credo)」について、世界中のマネジメントがどのように考えているのか、見なおしてみようという提案であった。たとえオフィスの壁に「我が信条(Our Credo)」を貼っていたとしても、マネジャーの多くは口先だけで同意しているのではないか、とバーク会長は思っていたのであった。

そこで、“クレドー・チャレンジ”ミーティングが開催され、二日間に亘って討論が繰り広げられた。大多数のマネジャーが「我が信条(Our Credo)」を保持することに賛同したが、より時代に則した内容となるように、いくつか表現を変えるべきだとも主張した。こうした討論や対立を通して、「我が信条(Our Credo)」に“賛同する”機会をマネジメントに提供することで、「我が信条(Our Credo)」の価値基準は彼ら自身の価値基準となり、前の世代から押し付けられたものではなくなったのである。このミーティングが導く結果は非常に重要だったので、その後三年間、何度も“クレドー・チャレンジ”ミーティングが開かれ、J&J全カンパニーの取締役が参加した。結果は、第一回目のミーティングの時と同様で、「我が信条(Our Credo)」の価値基準が再確認され、表現の変更がいくつか提案された。

1979年、「我が信条(Our Credo)」のために開かれたワールドワイドのマネジメント・ミーティングにおいて、改訂された「我が信条(Our Credo)」が発表された。「我が信条(Our Credo)」は、J&J文化にとってなくてはならない重要なものとしては再認識されるとともに、当時のマネジメント全員に支持される原則となったのである。

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