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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第34話「我が信条」の起草者、ロバート・ウッド・ジョンソンの素顔

1968年1月30日、ニューヨークのルーズベルト病院にてロバート・ウッド・ジョンソンJr.が他界した。たくさんの人が彼の人生や偉業に思いを馳せたが、ロバートという人物を一言で表すのは、生前と同じく困難なことであった。彼は多才であり、何事においても精力的で、休むことを知らず、率直で、型にはまらない人物であった。
病院で最期の日を迎えようとしていたロバートが、新しいタイプの病院用ベッドの設計を考案し、その考えを披露した時には、医療スタッフは彼の強さと断固たる意志に驚かされた。病院のベッドが不快で、改善したいといつも思っていたと、彼は説明したのだった。

ロバートは米国で最も裕福な実業家の一人でありながら、労働者階級には友人のように思われていた。彼は、労働者に代わって、賃上げ、労働時間短縮、清潔で近代的な工場などの実現、そして全ての労働者に対する人間としての尊厳を高めるために闘った。その結果、大勢の人が彼を友人と慕うようになっていた。彼の遺書が公開され、遺産の大部分に当たる12億ドルが、米国医療の発展のために、Robert Wood Johnson Foundation(ロバート・ウッド・ロバート・ウッド・ジョンソン財団)に寄付されたことが明らかとなった。ニューブランズウィックの質素な家を本部としていた小さな財団が、突如として、米国第二の規模の、医療の発展に注力する団体としては最大規模の財団となったのである。

社会へ寛大な贈り物をしたことから、ロバートは人道主義者として人々の記憶に残るだろう。そのため、ビジネスリーダー、公務員、作家、自然保護論者、また政府の仕事に携わったという彼の一面は隠れてしまいがちである。同様に、病院管理、大量輸送や、海洋レース、飛行機操縦、その他様々な趣味の分野においても、彼の専門的見解が役立ったことについては余り知られていない。アメリカ合衆国下院の場において、ロバートは、「人々に対する愛情と同じくらい深い愛情をアメリカに対しても抱いている愛国者」という言葉で議員から賞賛を浴びたのであった。

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