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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第33話引き継がれる経営スタイルと企業文化

1963年の春、70歳のロバート・ウッド・ジョンソンJr.は、会長兼最高経営責任者の地位を退くことを決意した。53年間に及ぶ彼の存在はジョンソン・エンド・ジョンソンに多大な影響を及ぼした。在籍期間のうち31年間を社長兼会長として努めた。ロバートは彼が辞めることで会社が混乱するようなことがないようにしようと決心した。

彼は細心の注意を払ってフィリップ・B・ホフマンを後継者に選び、鍛えた。ホフマンはアイオワの薬剤師の息子で、大学を卒業した翌年、発送係として1931年に入社した。その後彼は営業職に就いてから頭角をあらわし始めた。彼のアグレッシブで異彩を払った仕事のやり方にロバートは強い印象を受けた。

ホフマンはオーソの家族計画とエチコンの外科用手術糸のビジネスを成功に導いた。取締会の会長職はホフマンに、そして社長兼エグゼクティブコミティの委員長はグスタフ・O・レインハードによって引き継がれた。

ロバートはその長い経歴の間ずっと、会社の経営スタイルの確立と文化の醸成に尽くした。多くの人がロバート不在のJ&Jがどんな風になってしまうのかと懸念した。しかし、ロバートの思惑通り経営に顕著な違いは見られなかった。

ホフマンのリーダーシップの下、会社の売上は6年間で5億ドルから10億ドル以上へと2倍に跳ね上がった。1970年に 10億ドルの目標は達成され、引退が差し迫ったレインハードへのはなむけとなった。レインハードの洞察力に富む財務管理は、何十年もの間、会社の成長に大きく貢献した。ロバートはジョークでよく彼のことを「けちのレインハード」と言ったものだった。しかし彼は最も優秀な財務担当者であった。レインハードの努力によって、将来の成長に必要な財源は確保できたのである。

ロバートは正式に退任したが、経営の主流から完全に離れることはできなかった。彼は財務委員会の委員長の肩書きで役員会に残り、その立場で会社の財務方針について助言した。彼はよくドラッグストアやスーパーマーケットを視察していたので、マーケティングや広告についてもよく相談を受けていた。

店を訪れると、ロバートはJ&Jの製品が競合と比べてどうか評価し、自分の提案を記したメモをマーケティング部に送りつけた。ロバートはパッケージと広告に対して慧眼があり、彼の指摘の多くが的を得ていたので変更する結果となった。

もはや日々の経営に関わらなくなったとはいえ、ロバートは退いた会社のことを常に気に懸けていた。彼はかつてこのように語っている。「私が残そうとしているのはお金ではなくビジネスなのです。J&Jらしいビジネスをそのまま完全な状態にしておくことが私にとって重要なことなのです。」

この意味において、ロバートは決して会社を離れることはなかった。

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