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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第30話会社創立の地 ニューブランズウィック

新しい本部ビルの建設地を巡って、マネジメントの間では数年にわたって議論がなされた。第二次世界大戦後、ニューブランズウィック(以下NBK)はアメリカの多くの町同様、深刻な経済疲弊に喘いでいた。小売業は巨大なショッピングモールの影響を受け、町は寂れた外観を帯び始めた。NBKはジョンソン・エンド・ジョンソンにとって1886年の創立以来の地ではあるものの、ここに留まることは、町が抱える諸問題を背負うことになるだろうと考えられた。

たくさんの候補地が挙がった。当時の会長兼最高経営責任者ディック・セラーは、もしJ&JがNBKを離れたら町の復興に懸ける住民の希望は一切失われる。そして、「我が信条」に謳われている信条のひとつは地域社会に対する責任であった。

会長としてセラーはJ&Jがこの町に留まり新しい本部を建設するという決断を下し、取締役を説き伏せた。

1978年の春、発表された決定は、何よりNBKの住民に大きな心理的励ましとなった。セラーは財務委員会の委員長と取締役に残り会長職を退いた。そして、NBK復興運動のリーダーを個人的に引き受ける決心をした。引退後の10年間は、夢と空想に満ちた運動に専念した。

セラーは、ニューブランズウィック・トゥモローと称した方針策定連合を組織し、企業家、研究者、労働者、地域社会、そして宗教者たちへの参画を説いた。彼が最も頼りにしたのは、1975年のニューブランズウィック・トゥモロー発足時から委員長を務め、重要な役割を担ってきたJ&Jの役員、ジョン・J・ヘルドリックであった。

二人はともに気の遠くなるほど時間のかかる再建に手をつけた。彼らは町全体の復興には新しい建物と小売業の流入にも増して必要なものがあると感じていた。それは町が荒廃し再建への希望を失いかけている地域住民の弛緩した精神を活気づける手段であった。

続く10年間には驚くべき成果が生み出された。商業地区の変貌は劇的でさえあった。総額3億ドルにのぼる新しい建設工事が、荒廃した町並みを最新の小売店やオフィス街へと刷新していった。

1986年までの復興期間には、人口5万人の町に4,000もの仕事を創出した。300万ドルの年間歳入により住民は快適なサービスを受けることができた。資産価値は上がり、人々は住まいや界隈の外観に誇りを持つようになった。

ひとたび経済発展の勢いがつくと、ニューブランズウィック・トゥモローは復興の優先順位を生活の質の向上に移し、健康管理、教育、職業訓練などのプログラムが設けられた。そして資金援助と専門家の関わりを通して、J&Jは現在もリーダーシップの役割を担いつづけている。

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