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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第27話医療の進歩につれ複雑化する病院管理にも貢献

ジョンソン・エンド・ジョンソンは、創業の初期から病院との緊密な関係を保ち、新しい病院がオープンするたびに早いうちから患者のケアの改善と安全の確保について病院と協議した。協議では"伝染"と"患者同士の感染"というかねてからの重要課題に継続的に焦点が当てられたが、J&Jは長年の経験からこの二つの問題についてかなりの知識を集積していた。

第二次世界大戦も終わりを告げる頃、"奇跡の薬"といわれた抗生物質を始めとして病院へのディスポーザブル製品の導入など、医学界の画期的な進歩がめざましかった。

多くの病院がリネンや手術着を洗濯して再使用していた当時、開発に10年間をかけたJ&Jの不織布はその実用性と安全性で新世代の製品となった。

ディスポーザブル製品の到来は病院内の無菌化を促進したが、そういったコンセプトの多くはJ&Jの研究の成果であった。これらの情報をプロの医師に提供するためにJ&Jは広範囲の教育プログラムを実施していった。

医学の進歩とともに、病院の管理はますます複雑になった。当時はまだ病院管理についてのトレーニングもおざなりで、この状態を憂いたロバート・ウッド・ジョンソンJr.は、1943年にノースウェスタン大学にアメリカで最初の病院管理のトレーニングプログラムを開設する資金を寄付した。彼はまた病院の組織に関するガイドラインを提唱し、外科、産科、小児科、放射線科など現在一般に見られる専門別の組織編成を慣行化することに大きく貢献した。

医師たちは彼の貢献に多くの栄誉で報いたが、その一つが米国外科学会から専門家以外に初めて授与された名誉フェローシップであり、もう一つはイギリスの王立外科大学からアメリカ人に初めて贈られたCourt of Patrons(特別支援者グループ)のメンバーシップであった。

ロバート自身も幾度も病院の患者となり、その都度患者の立場から考えさせられる事が多かった。一日にペニシリンの注射を4本も打たれ、看護婦が毎回「前はどこに打ちましたか」と聞くのに悩まされた彼は、マーク用の消えない鉛筆をとりよせ、注射の跡に円を書き日付を入れるようにした。

別の機会に入院したロバートは看護婦のトレーニング・プログラムを改善する手助けをした。それを2週間のうちに成し遂げ、退院時には教育施設のためにメディカル・ライブラリーを作ることを約束した。入院はいつも高いものについたが、彼はこういう成果をあげることに満足していた。

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