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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第23話Decentralization(分権経営)の確立

不況のさなかにもかかわらずジョンソン・エンド・ジョンソンの新製品は順調に増え続け、常に消費者に好評であった。1943年には、ニューブランズウィック以外で国内初の大きな工場がシカゴに建てられた。この工場はまた、J&Jの経営方針の一つとしていたDecentralzation---ビジネスをマネジメントしやすいサイズに分権化する---を反映したものであった。

かつてロバート・ウッド・ジョンソンJr.は、分権経営のメリットを確信するに至ったある出来事についてかたった事がある。救急絆創膏製造の新方式が開発されたとき、工程の初期段階に問題が発生した。原因追求のため製造に携わる責任者を招集したところ、17人もの人が現れた。愕然としたロバートは「問題はわかった。介在する人間が多すぎるのだ。」そして「会議は終了。」と、会議を始まらないうちに終わらせてしまったのである。

その後、彼は責任者を一人だけ任命し、問題は見事に解決された。この一件以来、ロバートはビジネスを運営する最善の方法は分権化であることを確信した。この信念は後にJ&Jの"Family of Companies"として発展し、広く知られるようになった。

ロバートが分権主義にこだわったもう一つの理由は「人」にある。「社員はその仕事を正当に認められ、尊重されなければならない。組織が小さくなればより多くの人が正当な評価を受けることができる。」

時代と共にロバートは最も先進的な分権経営の第一人者となり、J&Jはそのよい実例となった。 多くの会社が様々な形で誕生した。

かつて生産ラインの一部であったスーチャー(縫合製品)は1918年のVan Home and Sawtellの買収に始まりJohnson Suture Corporationを経て、さらにEthicon Inc.と発展した。Ortho Phermaceutical Corp.のように会社の一研究室から会社へと成長したものも多い。同じ方針は急速な国外進出でも展開され、各地に次々と小さな輸入代理店が設立された。そしてビジネスの拡張に伴いファミリーカンパニーとして成長していったのである。

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