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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第19話国際市場の開拓をいち早く見抜いたロバート・ウッド・ジョンソンJr.

戦争の余波を受けながらもジョンソン・エンド・ジョンソンは生産レベルを落とすことなく、病院や一般消費者への製品供給を続ける。しかし、新たな成長の機会を求められていたことも事実だった。製造の現場から離れ、生まれつきセンスのあったセールスマーケティング部に異動していたロバート・ウッド・ジョンソンJr.は、そこで、将来を見据えた国際市場の開拓が急務であることを確信した。

一方そのころの米国には、孤立主義に対する強い支持があった。戦争の犠牲者は膨大で、多くの国民は「米国は無関係にもかかわらず戦争に引きずり込まれ、ひどい報いを受けた」と感じていたのである。孤立主義支持者は「米国の面倒は米国が見るべきである。外国人の面倒は外国人自身が見よ」と宣言。こうした政治的論争は別にしても、当時、海外へのビジネス拡大はリスクが大きく、採算の見込みはまったくないとされていた。事実、当時社長であったジェームズ・ウッド・ジョンソンを含めた他の役員も、国内の代理店と卸売り業者のネットワーク拡大のみを支持していたのである。

ところがこの時期にロバートただひとりが、「J&Jは国際的製造体制を持つべきだ」と信じていた。1922年秋、彼は情報収集のための大英帝国視察を役員会に諮る。「戯れだ」と非難されつつもねばり強い説得を重ね、ついにこの提案が了承された。

数ヶ月間にわたって世界のビジネス状況のリサーチを行った後、ロバートは弟セワードとともに1923年10月1日SSオリンピアに乗船してニューヨークを発った。彼らは12カ国を訪問し、健康分野における多くの要人に精力的に面会する。その中でJ&Jの経営陣に世界のマーケットの潜在的可能性を報告。半年後の春帰国するまでに、今まで以上に国際的製造設備の必要性を確信する。そして1924年、経営陣を説き伏せ、ついにロンドン郊外ソローに工場を開設。自ら指揮を執ることになったのである。

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