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ジョンソン・エンド・ジョンソン100年史

第6話信頼性の高い製品と情報の発信基地として

ジョンソン・エンド・ジョンソンの革新的な製品への需要が高まるとともに、生産設備の限界が近づき、工場の増設が必要となっていた。現在もラリタン川の河岸にある建物がそれである。後にロバート・ウッド・ジョンソンが「小さな始まり」と名付けた時代はすぐに過ぎ去っていった。アメリカは16,000の企業が倒産した1893年の大恐慌から少しずつ立ち直ろうとしている時代だった。

しかし、メディカルビジネスはかろうじてこの渦に巻き込まれることなく、J&Jの従業員は400人にまで増え、工場とオフィスのスペースは14の建物までにおよぶようになった。工場での生産はさらに急激な伸びを示していた。

毎朝、"Johnson & Johnson"と焼印を押された荷物を積んだ蒸気船が当時まだ新しかった自由の女神の横を通り、ラリタン川をニューヨーク港へと下り、各地へと製品が運ばれていった。また、J&Jではアメリカンドリームを心に抱き、やる気とエネルギーにあふれてやってきた多くの移民たちを雇うようにもなっていた。

この頃になるとどんどん増えていくジョセフ・P・リスター博士の信奉者たちにJ&Jの製品は消毒済み手術用ドレッシングのパイオニアとして認められるようになり、会社はその製品だけでなく、信頼性のある最新情報の発信地としても認識されるようになっていた。このような名声が高まるとともに、製品の品質への要求も高まる一方だった。ロバートはこの点でも「だいたい消毒されている」などという製品はないのだということを社員に叩き込んでいた。製品は完全に清潔でなければいけないという信念のもとに、少しでも問題があると彼はとても怒ったのである。

「清潔さ」に対するルールは大変厳しいものだった。生産に従事する従業員は洗浄、消毒されたオーバーオールの制服をその場で身につけ、女子社員は入社した初日から看護婦のような帽子を身につけることになり、後にこれが「伝統」になったのである。

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