Caring
健やかな社会を支える努力を称える
結核予防と向き合い、半世紀

54年にわたる世界結核対策 結核予防会に託された期待

教育者部門 工藤 翔二(くどう しょうじ)  Shoji Kudoh 公益財団法人 結核予防会 理事長Chairman, Board of Directors, Japan Anti-Tuberculosis Association

2014年から「公益財団法人結核予防会」の理事長を務める工藤翔二氏と結核との関わりは、1972年から勤務した東京大学病院に結核病棟があったところから始まりました。開業医だった祖父の影響で医師を目指し、重症喘息発作で父親を亡くしたため呼吸器の道を選んだという工藤氏は、大学紛争時期と重なった1967年に東京大学医学部を卒業。「患者さんに尽くすこと」が患者さんからの信頼と医師としての経験を得られる唯一の道だったといいます。医療法人大田病院を経て、東京大学病院に勤めだした頃には呼吸内科医として新たな道を進み始めました。

結核医療教育に携わるようになったのは、日本医科大学に赴任した1992年のこと。同大学で呼吸器・感染・腫瘍部門の教授を務めていたとき、若い呼吸内科医が結核の治療を学ぶ機会がないため、外来や入院治療中の患者さんが結核を発症した際に、結核専門の医療機関に紹介することしかできない実態を目の当たりにしました。そこで院長に相談して、全国の私立大学に先駆け、一般病棟で結核患者を診察できる「モデル病床」を病院内に設置。自身も結核教育を浸透させるべく講義を担当し、現在も継続しています。

結核モデル病室(日本医科大学)の入院患者数
1999〜2004年と2011〜2016年の比較
ほとんど変化はない

  1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 (人数)
結核 21 17 10 15 11 9 72
  2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 (人数)
結核 13 12 10 12 13 10 70
結核疑い 5 13 7 6 7 10 48
合計(人数) 18 25 17 18 20 20 118

結核対策コースでの講義風景

結核対策コースでの講義風景

当時、びまん性肺疾患を専門分野とする一般呼吸器医療のパイオニアとして活躍する中、同級生であった森亨氏(結核研究会名誉所長)と石川信克氏(結核研究所所長)は結核医療で活躍していました。そのため、「いつからか2つの医療の橋渡しの役割をしなければならないという使命感が芽生えた」と言う工藤氏は、呼吸器学会を主な学術活動の場としながらも、「一般社団法人日本結核病学会」に入り、その役員を兼任するなど結核教育の活動を継続しました。そんな縁もあって、工藤氏は日本医科大学で定年を迎えようとしていた2008年に、「財団法人結核予防会複十字病院」の院長就任への誘いを受けます。森氏や石川氏に加え、かつての恩師や他の同級生からも強い要請を受けて、結核予防会複十字病院の院長に就任することになりました。

院長を務めた6年間で病院の進むべき道を明確にしながら、病院経営の立て直しに尽力。そして赴任3年目で赤字経営から脱することに成功しました。また、2007年に同病院が多剤耐性結核患者など治療の困難な患者さんを受け入れ、外来治療を担う「高度専門医療施設」の指定を厚生労働省より受けたことから、隣接する結核研究所と共に臨床と研究、そして人材育成にも力を入れました。
現在も、アジア・アフリカを中心に年間1,040万人が結核を発病しており、日本の結核対策も国際化が求められるようになりました。「公益財団法人結核予防会」は1963年から国際結核研修を開始し、その受講者は世界97ヶ国から2,317人(2016年6月)に達し、世界的に高く評価を受けています。同会の理事長となった工藤氏には、54年間培われたその活動の発展が託されています。

第13回 ヘルシー・ソサエティ賞
プロフィール
1967年 東京大学医学部卒業。東京大学第三内科、都市駒込病院を経て、1994年日本医科大学医学部(呼吸器・感染・腫瘍部門)主任教授。2008年日本医科大学名誉教授、財団法人結核予防会複十字病院院長。2014年に公益財団法人結核予防会理事長に就任。びまん性汎細気管支炎(DPB)に対する「マクロライド少量長期投与療法」を確立した呼吸器内科のパイオニア。特発性間質性肺炎の診断基準改訂と、病態解明、びまん性汎細気管支炎の遺伝性要因の解明、COPDの普及啓発を行うなど、呼吸器疾患の治療に欠かせない功績を残している。

ページトップへ

このサイトは日本国内に向けて制作しております。
このサイトならびにサイト内のコンテンツは、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社によって運営されています。

© Johnson & Johnson K.K. 1999-2017