「国際女性デー」は、1911年の創設以来、女性たちのリーダーシップによる経済的・政治的・社会的な功績を称える記念日となっています。
今年のテーマは「Make it Happen(実現させよう)」です。ジョンソン・エンド・ジョンソンは1886年の創業当時から、女性たちが様々な偉業を成し遂げてきました。
世界中で活躍する女性たちの貢献を称えるべく、今日のジョンソン・エンド・ジョンソンを形作った彼女たちの10のストーリーをご紹介します。
1886:女性たちが創業を支援!
1886年のジョンソン・エンド・ジョンソン設立時、最初の社員14名のうち、半数以上の8名が女性でした。
全員、進取の気性に富んでおり、高い志を掲げるこの小さな新会社に加わりたいという意欲を買われて、創業者ジェームス・ウッド・ジョンソンに採用されました。高い志とは、企業で初めて滅菌済みの縫合糸・手術用ドレッシングや包帯を大量生産し、全米の病院で患者の命を救うことでした。活躍した女性社員の多くが、後に責任ある地位に昇進したことがジョンソン・エンド・ジョンソンのアーカイブに記録されています。
1907/1908: 先駆的な科学者として
1907/1908年、ジョンソン・エンド・ジョンソンは当社初の女性の科学者を採用しました。彼女の名前はEdith von K。
アメリカ大陸のおよそ半分の距離にあたる遠隔地への引越しもいとわずにジョンソン・エンド・ジョンソンに就職し、科学研究部門に所属する4人の科学者の一員になりました。当時、アメリカ人女性の大学進学率は3%未満に過ぎず、科学を専攻する女性は、その中のごく一部でした。今日、世界中のジョンソン・エンド・ジョンソンのグループ会社には、多くの女性の科学者が勤務し、未来のヘルスケアを大きく変革する革新的な開発を支援しています。
軍隊勤務
第1次世界大戦中の1917年、ジョンソン・エンド・ジョンソンの広告部門に勤務していた正看護師のKatherine Hannanが、当社の女性社員で初めて志願兵となりました。Katherine は、そのリーダーシップと看護技術を認められ、軍の中でめきめきと昇進し、1918年にはシベリア駐留米国海外派遣軍に所属し、ウラジオストックにある後送病院の看護師長になりました。1918年にインフルエンザが大流行した際も、Katherine Hannanは兵士の治療に当たりました。そして病院に最後まで残っていた派遣看護師たちを、個人的にアメリカ本国まで送り届けたのです。
今日、ジョンソン・エンド・ジョンソンでは軍を退役した女性社員が、在役中に身に着けたリーダーシップスキルを幅広い職務に活用しています。
ジョンソン・エンド・ジョンソンの最もアイコン的な消費者向け製品発明のパートナー
ジョンソン・エンド・ジョンソンでは創業以来、女性の提案するアイデアやフィードバックが製品作りに活かされてきました。ジョンソン®ベビーパウダーや初めて大量生産に成功した女性向け衛生用品などがその好例です。また救急絆創膏「バンドエイド」®が発明されたのも、Josephine Dicksonが開発者で夫のEarle Dicksonにヒントを与えたおかげです。女性は現在も素晴らしい洞察やフィードバックを会社に提供し続けています。
ボランティアの創設者として
ジョンソン・エンド・ジョンソンの1世紀にわたる社員の地域ボランティア活動は、女性社員の活動から始まりました。
きっかけは女性社員の組織であるローレルクラブのメンバーが、1907年に地域社会でボランティア活動を開始したことです(地域社会への貢献は同クラブの設立趣意書に盛り込まれていました)。
メンバーは恵まれない子どもたちを支援し、育児相談を開催した他、第1次世界大戦後は負傷兵のリハビリを支援しました。今日では、全世界で働くジョンソン・エンド・ジョンソン社員――女性も男性も含めた80%以上が、それぞれの地域社会でボランティア活動に取り組んでいます。
健全な社員の育成に向けて
ジョンソン・エンド・ジョンソンは100年以上前、社員向けのスポーツ施設とエクササイズのための教室を社内(ローレルクラブのビル内)に設置していました。1907年3月27日号の『ニュー・ブランズウィック・ホーム・ニュース(The New Brunswick Home News)』紙は、ジョンソン・エンド・ジョンソンの女性社員が青いフランネル製のブラウスにブルマ-、黒のストッキングとスニーカーという服装で運動していたと報じています。また女性社員は、社内のスポーツチームにも熱心に参加しており、その起源は1907年に結成されたバスケットボールチームにまで遡ります。その後、数十年にわたって当社の多数の女性社員チームが、地元のスポーツリーグで優勝を重ねました。
社員組織の設立において
ジョンソン・エンド・ジョンソンには、社員組織において長い歴史があります。今日、当社の社員は、共通の関心事や経験に基づく社員のグループを多数組織しています。これらのグループは社員をサポートし、人脈作りや能力開発の機会を提供し、一方で様々な切り口でビジネスの支援につながっています。女性社員は、1907年という早い時期に、当社初の社員の組織であるローレルクラブを設立しました。
訓練を受けた緊急対応要員として
ジョンソン・エンド・ジョンソンは、「応急処置キット」と「応急処置マニュアル」を他社に先駆けて販売したパイオニアです。そのため、当社が社員に最新の応急処置技術を教育したのは、当然の成り行きといえます。1900年代初頭の10年間、Fred Kilmer博士が社員救急隊訓練の指揮を執りました。女性隊員も多数参加して訓練を受け、同僚が怪我をしたり病気になったりした際に応急処置を行いました。
当社の取締役および経営幹部として
ジョンソン・エンド・ジョンソンでは何十年も前から、女性が経営陣に就任しています。その中には、半世紀近く前に就任した当社初の女性バイスプレジデントJoan Ganz CooneyとAnne Dibble Jordanも含まれます。2人は1978~1981年にかけて当社初の女性取締役を務め、その後、数えきれないほど多くの女性が役員に就任しました。 今日、ジョンソン・エンド・ジョンソンの重要なリーダーシップポジションを多くの女性が担っています。実際に、先日『フォーブス(Forbes)』誌の「2015年度女性に優しい会社上位10社(Ten Great Companies for Women in 2015)」のうちの1社に選ばれています。
10.地域社会のパートナーとして
ジョンソン・エンド・ジョンソンの慈善活動プログラムは、世界で最も古くからの歴史と幅広い活動で知られており、世界中で展開しています。各地の地域社会でパートナーと協力し、生涯に渡り人々に影響をもたらす長期的な健康維持のための活動に取り組んでいます。プログラムパートナーの多くは、女性または女性が設立した組織です。例えば、ほぼ1世紀前にEglantyne Jebbが設立した 「セーブ・ザ・チルドレン」、エチオピアにあるAddis Ababa Fistula病院の共同設立者であるCatherine Hamlin、「マザーズ2マザーズ(mothers2mothers)の1,000人余りの女性メンターたちなどがそれにあたります。彼女たちは数え切れないほど、たくさんの人々の命を救い生活向上に貢献しています。